デラニー・ブラムレットの語るデュアン・オールマン

•2012/08/01 • コメントする

Delaney Bramlett 2008年インタビュー(部分訳)

すっかり更新に間が開いてしまいました。
今回は、時々コメントを頂いているsatoさんのブログとの勝手な連動企画です。
これはSwamplandと言うアメリカ南部の音楽に関する話題を取り上げているサイトに掲載されたDelaney Bramlettの2008年インタビューの抜粋になります。
全体は2部構成になっており、今回はPart 2からの紹介になります。

satoさんは主としてジョージ・ハリスンに関してDelaneyが語った部分について書かれていますが、こちらはそのインタビューからDuaneに関して語っている部分を。
因みにタイトルもsatoさんのブログのパクリだす(爆)

Delaney Bramlettについては多くを語る必要は無いでしょう。Delaney & Bonnieと言う夫婦デュオで非常にアメリカ南部色の強い音楽をリリースし、George Harrisonは言うに及ばず、Georgeと親交のあったEric Claptonにも大きな影響を与え、更には両人とも彼らのツアーに参加したことでも知られていますね。

EricはそれまでのCreamやBlind Faithと言った輝かしいブリティッシュ・ロックの名声をかなぐり捨て、Delaney & Bonnieの元、新たな自分の求める音楽の旅を始めた訳です。
それは1969年の事でしたが、その後1970年半ばまでDelaney & Bonnie and Friendsの一員として彼らのバックを勤め、バックをやっていた気の合う連中とDerek & The Dominosを結成した事は偶然では無いと思います。
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アメリカの匂い

•2012/06/08 • 6件のコメント

Neil Young “Needle And The Damage Done”

ちょっとバタバタしていて、随分と更新が滞ってしまいました。

確か1972年のこと、中学3年の夏くらいだったと思います。当時弾いていたギターは、前にも書いたように、FirstmanのLiverpool Deluxeと言う国産オリジナルデザインのギターです。
ミュージックライフと言う音楽雑誌から音楽に関する情報を得ていた私は、そこに出ている写真を眺めつつ、憧れの海外ミュージシャンが使っている普通の(笑)GibsonやFenderのギターが欲しくて仕方なかったのだ。
けれど、音楽雑誌に出ているGibsonやFenderの広告を見るに付け、中学生如きにおいそれと買えるような代物でない事も分かっています。

分かっていても欲しいと言う気持ちは抑えられるものでもなく、無い知恵を絞っていると、以外にもヒントはそのミュージックライフ誌に転がっていたのでした。


 そこで見つけた記事の片隅には、アメリカではポーンショップ(質屋さんのことですね)に安い値段で掘り出し物のギターが売られている、中にはオールドギター(今で言うヴィンテージギターのこと)も結構あると書かれているではないですか?!

これだ、これしかない! 当時親父は商社勤めをしており、何人もの部下がアメリカに駐在している、中には自分も見知っている人がいる、その中の誰かに買ってもらい日本に送ってもらうように頼めば良いんだ!

中学生の妄想は綿飴の如く膨らみ、周りでは誰も持っていない憧れのGibson・Fenderのオールドギターを弾いている(見せびらかしている 笑)自分を思い浮かべて薄ら笑いを浮かべる始末。

何と言う甘い考えでしょう。甘いよ、本当に甘い!
そう、ギターに詳しい人ならいざ知らず、知識の無い一介の商社マンにポーンショップで掘り出し物のギターなぞ買える訳が無いのです。
でも当時の私の頭の中はその甘い考えで埋め尽くされ、また親父も良く分かりませんから、そんなものかと部下に頼んでくれました。

もうワクワクです。天にも昇る気持ちでした。1ヶ月か2ヵ月後には自分も憧れのミュージシャンと同じギターを手にするんだと毎日にように何か届いていないか両親に尋ねるほど。
そして2ヵ月後、ギターでは無く、レコードが2枚入っている包みが手紙と共に届きました・・・
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サザン・シティ・ポップス

•2012/04/11 • 6件のコメント

Les Dudek

日本ではそれ程知名度は無いと思われるLes Dudekだが、1976年のソロデビュー以来今も地道に活動を続けているギタリストだ。
始めて彼の名前を知ったのは、彼が最初のソロアルバムをリリースした直後、ミュージックライフ誌にBoz Scaggsのインタビューが掲載され、それにLesの事が出ていたからだ。
インタビューワは彼のことを、見た目がDuaneに似ていますねとBozに向け、Bozはそれに同意しスライドギターも素晴らしい事、自分のバックバンドで弾いていた事などを答えていた。
そして、何よりもミュージックライフは彼をDuane Allmanの再来とぶち上げたのだ。
もう、これは買わずばなるまいと早速レコード屋に赴き、ジャケットを見ながらニヤついた(笑)

ジャケットは、57年Les Paul Goldtop、その年の前半まで作られていた、P-90と言うシングルコイルピックアップを搭載したモデルを抱えて、そのギターのヘッドにオウムだかインコだかが停まっているというもの。見た目はDauneのようなワイルドさは感じなかったものの、ワクワクしながらレコードに針を落とした。
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Jazz研伊豆長岡合宿

•2012/04/06 • 4件のコメント

Donny Hathaway

それが1979年の春だったのか、1980年だったかは記憶が定かではない。
Jazz研の春合宿で伊豆長岡に行った時のことだ。我々は、車を持っている部員の車にそれぞれ分乗し、大学から伊豆方面に向かった。
車の所有者はドラムのN、彼は同期だがJazz研に私が参加したのが1年遅かったので一応一年先輩である(笑)
彼の運転で、私、トランペットのM、それとベースの先輩Nさんが同乗していたと思う。最初はワイワイと他愛無い話をしながら伊豆へ向かった訳だが、まぁ、そこは規則正しい生活とは程遠い毎日を送ってる学生である、運転手のNと私を除いた両名はスカスカ眠りだしてしまった。
実は私もどっか行っちゃいそうだったが、小心者(嘘)ゆえ隣で運転してるNに悪いななぁ等と必死に起きていたに過ぎないのだ。
その内Nがぶつぶつ言っているのが聞こえた、「俺がなぁ、ここで思い切りアクセル踏んだらお前らみんな一緒くたに死ぬんだぞ、くそぉ」
更に、「なぁ、Y(わたすのこと)、俺の代わりに運転してくれよ。免許が無い?良いよ、この車オートマだからゴーカートと一緒だ。アクセル踏めば進む、ブレーキ踏めば停まるんだ」
無茶である。N先輩とMは何も知らずにスカスカ寝てる、あろうことかN先輩は軽くいびきもかいてるではないか。
「なぁ、何かさぁ、もっと軽快な感じのもの聴こうぜ、歌ものばかりじゃ嫌でも眠くなるべ?」
彼は、そうだなと頷き、おもむろに別のカセットを取り出して、カーステレオに突っ込んだ。
それは、Donny Hathaway Live、これが私が初めてDonnyを聴いた瞬間だ。
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Schaefer Music Festival

•2012/04/02 • 4件のコメント

The Allman Brothers Band at Central Park

1968年から1976年まで、ニューヨークのCentral ParkのWollman Skating Rinkで夏になるとSchaefer Music Festivalと言う音楽フェスティバルが開催されていた。
Wikipediaによると、このフェスティバルは言わば特定企業がスポンサーとなった冠フェスティバルであり、Schaefer Brewing Companyがスポンサーになる前は、1966年からRheingold Central Park Music Festivalとして開催され、1977年からはスポンサーがDr. Pepper、Mirrer Beerと替わって1988年まで続いたそうだ。(尚、観衆の騒音問題で1981年に開催場所をWest SideのPier 84に変更したとのこと)

Allman Brothersは、Duane単独で1970年8月5日にDelany & Bonnieのサポートとして、翌年7月21日にはバンドとして、オープニングにCowboyを迎えEarlyとLateの2回公演を行っている。
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2度目の後楽園

•2012/03/16 • 9件のコメント

Emerson, Lake & Palmer

1972年の7月にムソルグスキー作ラヴェル編曲「展覧会の絵」をロック化して一般的な知名度も一気に上昇したEL&P(Emerson, Lake & Palmer)の来日が決定した。当時、既に逗子に引っ越していた私は東京にいた頃の友人達と一緒に観に行くことにした。

考えてみると、初めてEL&Pの名前を知ったのは親父が偶然「展覧会の絵」をFMでエアチェックしたことからだった。まだ逗子に引っ越す少し前、親父はアカイのX-150と言うオープンリールデッキを手に入れ、同時にFMエアチェックに懲りだした。

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Derek & the Dominos with Duane Allman

•2012/02/01 • 2件のコメント

新しい写真

色々とバタバタしていたら先月は1度も更新しないで終わってしまいました。
仕事とかもありましたが、昨年末(2011/12/2 – 10)のEric Clapton & Steve Winwood東京公演の音源を弄っていました。と言うか、未だ全然終わっていませんね(笑)
今回の公演はSteve Winwoodファンからしたら2003年のフジロック以来ですから8年ぶりであった事もあり、彼のファンの熱狂ぶりは凄かったです。
また、ほぼ2年に1度来ているとは言え、Ericも二人での演奏にBlind Faithを重ねていますから、例年のセットリストとは大きく様変わりしていますし、Steveがメインとなる曲では彼のバッキングの素晴らしさも味わえました。
それが、未だに音源を弄っていることとどう関係するんだ?と言われると、まぁ、皆さん普段より確実に興奮していたのでしょうね、拍手・手拍子・拍手、雄叫び・喚き声・大声でStevie!!!、もうばっちり入りまくりで、そいつらをある程度小さくしてあげないと本来聴きたいであろう演奏が良く聴こえんのですね。
で、そいつらをチマチマ手編集しているとワタシハナニヲシテイルノダロウ?と言う位時間がかかるんです(泣)
それで疲れてしまったおっさんはブログの方を疎かにしてしまったのでした。ピロオド

さて、本題に入りましょう(笑)
お正月気分がそろそろ抜けて、でも未だ松の内?と言うような1/15に、いつものようにThe Allman Brothers BandのファンサイトであるHittin’ The Webの、ラウンジと皆が呼んでいるトレードセクション内にあるKCJimmy’s Godzilla Lounge X: Dedicated to our Brother Hughと言うスレッドを覗いていたら、友人のRonが「地元のSyracuseに関するサイトにWar Memorial arenaの歴史に関する記事があるんだけど、ボーナスに見た事無いDuaneとDominoesの写真が出てるぜ」と書き込んでいた訳です。
リンクも貼ってあったんで飛んで言ったら、何とも鮮明で驚愕の写真が載っていました。

そこの説明には、1970年12月2日にニューヨークのSyracuseにあるOnondaga County War Memorialで撮られたDerek & The DominosとDuane Allmanの写真とありました。
もう驚いたなんてものではありませんでした。大慌てで同世代のEricファン(特にDominos期に執着している連中 笑)にメールを出し、twitterにも貼り付け、関係者の多い掲示板に貼り付けと、その日一日は全く仕事になりませんでした。

と言う事で、貼り付け(笑)
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